おざろぐ

東北から教育とか趣味とかをつづるブログ

「私たちはなぜ勉強するのか?」に対する答え

私たちはなぜ勉強するのでしょうか?

 

その答えは、とても難しく、星の数ほど存在すると思います。

 

しかしまた一方では、シンプルにたった1つということもできます。

 

その答えは「より良く生きるため」です。

 

私たちが生きていくために、学習することはとても重要です。歴史的に見ても人類はさまざまな知識を獲得し、積み上げ、伝達してきました。そのおかげで今日、私たちは快適な生活を享受できています。そして同時に、人生では、世界ではどんなことが起こるか知れません。生き抜いていくためには様々な知識が必要で、刻一刻と変化する社会では常に新しいことを学んでいかなければなりません。

 

人が勉強する根本的な理由は、生きるため、といえるでしょう。

 

さらに詳しく見ていきたいと思います。たとえば学校で学ぶような英語や数学や理科はなぜ学ぶのでしょうか?理由は大きく2つあります。

①「仕事を得てお金を稼ぐため」、②「自分の世界を広げるため」です。

 

英数国理社は、直接仕事で使う人がいるかもしれないですし、社会(世界)で生きていくために役に立つことが多く含まれています。

 

たとえば、英語は日本にいても役に立たないじゃないかと思うかもしれませんが、逆に仕事で英語を使う人もたくさんいます。僕の場合、①子どもたちに英語を教えたり、留学生たちに英語で授業したりコミュニケーションを取ったりと直接仕事で使っていますし、②英語で書かれた本やサイトから色々な貴重な情報を集めることができてとても重宝しています。海外旅行に行ったときも英語ができれば英語圏で困りません。

 

数学や理科は①理工系に行けば直接仕事に関係してきますし(現に宇宙物理学者を目指していた僕にとっては不可欠なものであった)、②論理力を養ったり自然界の原理を知るという意味でとても有効な学問です。

 

日本の場合は特にそうなのですが、教育は「教養主義」という立場を取っています。

教養主義」とは、子どもは可能性のかたまりであることを信じて、将来いろいろな道に進めるように幅広く学んでおいてもらおうという考え方です。未来は何が起こるか分かりません。でもそんな不確定な未来に備えて色々なことを学んでおくことはとても意味のあることです。

この教養主義に基づき、(おせっかいと不満に思うかもしれませんが)大学受験までは幅広く、そしてけっこう深掘りした内容まで学ぶことになります。色々な進路に進めるような丁重な配慮です(笑)

 

さらに、勉強する理由が分からなくさせてしまう原因は2つあると考えています。

1つ目は、勉強する理由と生きる目標は密接に関係しているのですが、生きる目標を考えて見つける機会がなかなか得られないから。2つ目に、学問自体の面白さ・日常との関係性を十分に理解できない、教わらないという原因があります。

 

つまり、自分の人生における目標も見つけられず、学問自体の意味もわからないために、勉強する意味がまったく分からなくなってしまうのです。これではなんのために学ぶのか分からなくなって当然です。

 

僕は日本の教育のあり方に、そもそも問題があると思っています。

 

少し難しい議論になってきたので、最後にまとめておきますと

・勉強する理由は人それぞれだけど、「より良く生きるため」というのが共通した理由。

・「より良く生きるため」というのは、①仕事を得てお金を稼ぐ、②自分の世界を広げるということ。

・勉強する理由が実感できないのは、①人生の目標が見つかってない、②学問の意味が分からないというところに原因がある。

 

子どもから「なんのために勉強しなければならないの?」と聞かれたら

「生きていくために勉強はつねに必要だし、自分の世界を広げてくれることになる。あなたは色々な可能性を秘めているから、将来やりたいことが見つかったときにそれを手助けしてくれるものなんだよ」と答えるといいと思います。

 

ある科学者が「あなたの研究はなんの役に立つのか?」と聞かれて「赤ん坊はなんの役に立つのか?」と言い返したという有名なエピソードがあります。

 

将来はまさにどんなことが起こるか分からないし、学んだことを活かしていける可能性は無限大です。

 

役に立つか立たないかは、単なる結果論です。

 

もちろん無理に学ぶ必要はありません。まずは興味のあることから学んでいくといいと思います。

 

その学びの種がやがて芽を出し、花が咲く日がきっと来ることでしょう。

 

私たちの未来は、そして可能性は勉強によって無限大に広がっていくのです。

 

そしてその子どもたちの才能が開花できるように手助けするものが、ほかならぬ「教育」なのです。

2017年の目標は「選択と集中」

今年の目標

あけましておめでとうございます。2017年があけました。

 

年明けは、スタバで読書したり、DVD観たり、スキーに行って過ごしました。

 

新年最初に読んだ本がこれ

 『30代でやるべきこと、やってはいけないこと』

 

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20代と30代では人生における位置づけや役割が違うし、後悔しない人生を歩むために生き方を変えていかなければなぁと思って手に取りました。

 

読んでみると、30代の心構えや具体的な行動のヒントが書いてあって学びになりましたね。

 

そんな中で、特に心に残った考え方は

 

『30代は「選択と集中」が大事である』

 

 

選ぶことは諦めること?

20代までは、いろんなことにチャレンジして色んな経験を積み、自分の世界を広げていく時期であるのに対して

 

30代は忙しくなってくるし、時間や体力にも限りがあるので、数ある中からやるべきことを選択し、そのことに集中していくことが大事になってきます。

 

ときには、「何かを諦める」ということが必要になってくるかもしれません。

 

諦めることはとても勇気がいることです。なぜなら諦めるということはその可能性や希望を捨てるということだからです。

 

しかし同時に、「何かを選ぶ」ことによって可能性を広げることにもなります。

 

今まで知らなかった世界を垣間見ることができるかもしれませんし、何となく見知っていたものにさらに深く入り込むことによって別の景色が見えるようになるかもしれません。

 

僕は20代のころ、「何かを選ぶ」ということは「それ以外を捨てること」だと悲観的に思っていました。

 

でも違うんですね。それだけではない。

 

「何かを選ぶ」ということは実は「可能性を広げる」ということなのです。

 

 

広げていって閉じていく

こないだの記事では「30代でやりたいこと100のリスト」を作成しました。

※30代でやりたいこと100のリスト

http://ozawatchi.hatenablog.com/entry/2016/11/26/234112

 

正直、全部を達成できるとは思ってません。

(本来は全部達成できると強く願うべきなのでしょうが・・・)

 

100のリストを書き出してみることの真の効用は、「自分の無意識にアクセスして心の声を聴く」ことだと思っています。

 

もちろん想いを強くすることによって行動に変容を促し、それによって現実化する確率は高くなるかもしれません。

 

でも100のリストに書いた内容は、自分に意味があるともいえるし、意味がないともいえると思います。

 

自分の心の中を一旦無重力状態にして、無意識を具現化してみる。

 

そこから自分は本当はどんなことを思っているのかを知り、これからどういう方向を目指していくのかを知っていくわけです。

 

一度無限に広げていって、次に風呂敷にしまい込むように収斂させていく。

 

広げて閉じることで、本当にやるべきことが明確になっていくのだと思います。

 

 

やりたいことと現実のすり合わせ

少々難しい話になってしまいましたが、いずれにしても、ライフステージにおいて生き方を変えていくことは必要です。

 

10代の生き方、20代、30代、40代、50代、60代の生き方はそれぞれ異なります。

 

年齢を重ねるごとに、それぞれの年齢での困難に立ち向かいながら、自分の可能性を諦め、自分の可能性を深め広げていくのです。

 

僕は10代~20代は文字通り、目の前の壁を一つずつ乗り越えるために「がむしゃら」に生きてきました。

 

30代のこれからは、自分の今までの生き方を振り返り整理をしながら、もっと広く長い視野で今後の人生をどのようなものにしていきたいか、どんな自分になりたいのかを意識しながら生きていきたいと思っています。

 

思えば、10代の僕は野球選手と医者と物理学者に憧れ、20代の頃は翻訳家や作家やカウンセラーを目指していました。そして今は教育家を目標にしている。

 

僕は昔からやりたいことが見つからなかった人間でした。いや、厳密にいうと「やりたいことが多すぎて絞り切れない、選択する勇気のない人間でした。

 

ひょっとすると、エミリーワプニックが唱える「マルチ・ポテンシャライト(架橋家)」かもしれないし、器用貧乏で何一つ身になっていないだけなのかもしれない。

※天職が見つからない人がいるのはどうしてでしょう?(エミリーワプニック)

https://www.ted.com/talks/emilie_wapnick_why_some_of_us_don_t_have_one_true_calling?language=ja

 

 

それでもいろいろな経験を積み、自分の中では「教育」というキーワードが根付きはじめてきたように感じます。

 

もちろん今までの経験は「教育」に関係するものもあれば、まったく関係ないようなものまで幅広い。でも、それぞれは何かしらの関係を帯びてくるかもしれないし、意図的に関係づけていくことができるかもしれない。あらゆることは決して無駄にはならない。

 

主軸を持ち、それを取り巻く様々なことを受け入れていくことになります。

 

 

天職を見つける

「天職」とか「ライフワーク」とか「夢」とか色んな言葉があるけれど、結局のところ

 

「自分の興味が、およそ自分の力ではどうにもならないほどのものすごい強大な引力で引き寄せられるもの」を探し、見つけ、突き進んでいけばいいのだと思う。

 

まだ自分には見つかっていないという人は、いろいろなことにチャレンジしてみるといい。運命的な出会いは、日常的な出会いの数に比例する。恋愛と同じだ。

 

 

僕は「教育」というものを人生かけて求めていこうと覚悟を決めました。僕は教育がとにかく好きだし、今まで本を読んだり、セミナーに参加したり、海外に行ったりして、時間とお金を惜しみなく費やしてきた。何より子どもたちの笑顔を見ることが大好きです。

 

「教育」をバックボーンに据えて、これからの人生行路を旅していこうと思う。

 

僕らはまだ旅の途上にいる。

 

 

 

気持ちをニュートラルに

人生は得てして、あの人よりも優れているとか劣っているとか、自分だけがトップに立てるような分野を作ろうとか色々言われているが(そしてその考え方を否定するつもりはないけれど・・・)

 

他人との勝ち負けではなくて、自分らしく満足して生きていけるかだと思います。

 

僕らは競争の中で育ち、競争意識がしみついているけれど、ある意味でどこかのタイミングで開き直り、一度気持ちをニュートラルにする必要がある。

 

それができれば、心がスーッと軽くなると思います。たぶん。

 

好きなものを組み合わせて、自分の人生を彩っていくことができたならば、満足感や幸福感ははるかに高い。

 

20代までを第1ステージとすると、30代からは第2ステージの開始。

 

教育を主軸に、あとは趣味をいくつか選択して集中していこうと思います。

 

これから、やりたいことの選別作業が始まるから忙しくなりそうだ・・・

 

 

人生は有限だからこそ

昔、映画好きの友だちに「生きてる間に僕らは、この世の中にあるすべての映画を観ることはできないよ」と放言したことがありました。

 

友だちは僕の言葉にものすごい絶望感を覚えたと後に語っていました。その友だちにはとても申し訳ないことをしたなと今でも反省していますが、同時に僕にとってもショックでした。

 

映画だけではないからです。

 

世界中の本を読みたい、世界中の音楽を聞きたい、世界中を旅したい、世界中の人に会いたい・・・欲望は無限ですが・・・

 

この世に何億、何兆とあるそのすべてを見聞きすることはできません。

 

人生の間に触れることができるのはせいぜい0.001%くらいなものでしょう。

 

世界のほとんどのものを、その存在すらも知ることもなく、僕らは死んでいくわけです。

 

だからこそ量より質で、自分にとって価値あるものを選択してそのことに集中していくことが不可欠なわけです。

 

世界は無限。でも人生は有限。

 

有限の人生で、僕ら・私たちはこの無限の世界からどのような有限を切り取って生を享受するのでしょうか?

 

そしてその切り取り方は、だれ一人として同じものはなく、特別な色彩を帯びているのです。

 

 

才能と努力はどちらが大事か?

才能 VS 努力

最近、友だちのススメで『GRIT(グリット)』という本を読みました。

 

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グリットについては脳科学者の茂木さんが以前エッセイで取り上げていたので、興味は持っていましたが

 

グリット研究の第一人者であり、アメリカの心理学者であるダックワース教授の話を実際に読んでみて、とても感銘を受けました。

 

ビジネスリーダーやオリンピック選手など成功を収めている一流の人たちに共通するものを心理学的に解明したのが「グリット」です。

 

グリットとは何か?

GRIT=The Power of Passion and Perseverancce

 

グリットとは、やり抜く力のことです。

 

やり抜く力は、「情熱」と「粘り強さ」の2つの要素から成り立っています。

 

「情熱」とは、自分の重要な目標に対して興味を持ち続け、ひたむきに取り組むこと。

 

「粘り強さ」とは、困難や挫折があっても諦めずに努力を続けることです。

 

ダックワース教授は、偉業を達成するには「才能」よりも「やり抜く力」が重要であることを科学的に突きとめました。

 

一般に「天才」と思われていた人たちは、つねに「もっとうまくなりたい」という強い意志と興味と探求心を持ち続け、地道な努力を長年かけて「超人的に」積み重ねていたのです。

 

成功するためにもっとも重要な「やり抜く力」=「グリット」。

 

この本では、なぜグリットがもっとも重要であるのか、を豊富なエビデンスをもって解説しています。

 

グリットは教育に活かせる

さらにこのグリットは後天的に伸ばしていくことが可能で、どのように伸ばしていけるのかということについても分かっています。

 

まわりの人が外部からどのようにグリットを伸ばすことができるか、ということについても書かれてあるので、教育にも応用が可能です。

 

むしろ、教育にこそ一番必要とされる考え方かもしれません。

 

まわりの働きかけや外部の環境が子どもたちのグリットに大きく影響していきます。

 

これを知っておけば、子どもとどう関わっていけば分かるようになります。

 

 

 成功とは何か?

成功とは何か?

 

人生において成功とは何か?

 

大事業を成し遂げたり、ビジネスで成功して大金を得たり、名誉ある賞を獲得することでしょうか?

 

もちろん人それぞれ価値観は違うかもしれませんが、一番大事なことは「幸福」になれるかどうかです。

 

グリット研究では、グリットの高い人ほど「幸福感」と「健康度」が高いという結果が出ているそうです。

 

グリットは自分の選んだ道で成功するために、また、人生という長いマラソンを走り続けるために全ての人にとって重要なものです。

 

山あり谷ありの人生において、目の前の困難や挫折を乗り越え、幸福感を失わずに生きていくためのカギとなるものがグリットです。

 

一人ひとりがグリットを伸ばしていけることができるし、「天才とは自分の全存在をかけてたゆまぬ努力によって卓越していくこと」と定義するなら、私たちは誰でも天才になることができるのです。

 

もし興味があったら、『グリット』という本を読んでみてください。

 

私たち一人ひとりが幸福になれるヒントがたくさん得られると思います。

20代の振り返り②~村上春樹とパン屋とアップルパイ~

再受験のその後…

20代の振り返りシリーズ第2弾、前回は早稲田の理工学部から文化構想学部(文学部のようなところ、以下文学部と表記します)に再受験して奇跡的に文転した話までを書きました。

 

あらゆるプレッシャーから解放された僕は、文字通り、自由の翼を得たような気持ちでした。これから始まる4年間のキャンパスライフに胸を躍らせていたわけです。

 

正直に書きますと、文学部に入った最初の感想(および喜び)は、「女子が多い」ということでした(笑)

 

というのは、僕は中学高校は東北学院という男子校に6年間通っていたのですが、期待して入った理工学部、とりわけ物理学科は女子が60人中1人(たった1人!)という男子校みたいなものでした。

 

少し脱線しますが、青春時代である中高6年間は、特に恋愛というものをすることがなく、部活と勉強に励んだだけでした。

 

これは今思うと、集中して物事に打ち込めるというメリットがある一方で非常によくないことだと思います。中高時代に恋愛をしないという環境は思春期の子どもにとって健全ではありません。

 

事実、大学生になってから僕は初めて恋愛というものを経験したわけですが、コミュニケーションの取り方に慣れてなく最初はとても苦戦しました。

 

まぁそれは良いとして・・・理系に行って学科に女子が1人というのはとてつもないショックでした。(しかもその女子には彼氏がいた)

 

いったい何のために大学に入ったのか?とあやうく目標を見失うところでしたw(冗談)

 

「理工マジック」という言葉があって、理工学部の女子は3割増しで可愛く見える、というものです。

 

理工学部にはあまりにも女子が少ないので、ふだん何気なく見ている女子もだんだんと可愛く見えてきてしまうのです。(末恐ろしい!)

 

 当時、理工学部のキャンパスは大久保キャンパス(今の西早稲田キャンパス)だったので、「大久保工科大学」と呼ばれていました。事実、キャンパスは閉鎖した工場のようにモノクロで暗く、あちらこちらで実験が行われ、男ばっかりだった。

 

一方で、文学部の戸山(とやま)は「戸山女子大学」と呼ばれていました。男女比は4:6だったような気がしますが、理系出身の自分からしたら8割が女子、みたいな感覚でしたねw

 

村上春樹との出会い

文転してからの特記すべき大きな出会いは2つあります。一つは、学科の授業で村上春樹の作品に出会ったことです。

 

1年生の時に、クラスの授業で一人ひとり好きなテーマについて調べて発表する、みたいな授業があったのですが(詳細は忘れました)

 

ある男子が村上春樹の短編『パン屋再襲撃』という本をみんなに紹介してプレゼンしたのです。

 

それまで僕は、(性格があまのじゃくなので)有名な作家の本はほとんど読みませんでしたし、流行とは逆行する人生を歩んでいました。(唯一乗じたのがポケモン

 

村上春樹村上龍の人物の違いすら分からないレベルでしたから、まぁなんか有名な作家さんなんだろうなという感じでした。

 

ところが!この『パン屋再襲撃』と読んだときには、体全体が雷に打たれたような衝撃でした。

 

ストーリー性、文章表現、そこに込められた哲学的命題が僕を作品に入り込ませたのです。

 

パン屋再襲撃は、ある夫婦が空腹をしのぐため(あるいは過去のわだかまりを解消するために)夜中にパンを襲撃するという話です。男の方は過去にパン屋を襲撃(のようなもの)をしたことがあるのですが、それを聞いた妻が男を誘って再び襲撃をしに行くという話です。

 

なぜ、男はパン屋を再襲撃することになったのか?襲撃をしてその後どうなったのか?

 

気になる人はぜひ読んでみてください。短編なので10~15分くらいで読めてしまいます。

 

そのパン屋を読んでから僕は村上作品をもっと読みたい!と思うようになりました。

 

その後、長編も含めてほぼ全作品を読んでしまいました。

 

ある時は授業中に(小声)、またある時は体育館の2階で(これまた授業中に)毎日村上春樹の小説を読んでいました。

 

読んで気分がさわやかになって元気が出る、という部類の本ではないのですが、

 

不思議と魂が揺さぶられるものを感じていたわけです。

 

好きな作品は

海辺のカフカ

1Q84

・多崎つくる

ノルウェイの森

・世界の終わりとハードボイルドワンダーランド

ねじまき鳥クロニクル

です。

 

ノルウェイの森は、映画化もされていて(キャスティング等が大不評だったのですが)

 

個人的には、世界観が現れていて好きな作品です。僕の育ったキャンパスも撮影で使われているので親近感が湧きます。(まさか後に、ストーリーになぞらえるような恋愛を実際にするとは当時は露にも思ってなかった)

 

村上作品には一貫して『生きる意味』がテーマになっています。(と僕は解釈しています)

 

村上春樹に出会ったことは僕にとって生涯の財産になることと思います。

 

アップルパイとの出会い

2つ目の大きな出会いは、人ではないのですが、カフェで働き始めたことです。

 

きっかけは当時の新宿駅に「サンピエロ」というパン屋さんがあったのですが

 

そこのアップルパイがあまりにも美味しくて、電話して働かせてもらうことになりました。

 

それまで僕は塾講師しかバイト経験はなかったので、飲食業は初めてでした。

 

衛生管理だったり、サービス業だったり、商品をつくるということはかなり新鮮でした。

 

学習塾もサービス業(接客)ですが、子どもや親御さん達から「先生」と尊敬の対象としてみなされる一方で、飲食業などのサービス業は「お客さんの方が偉い」的なところがあるので、けっこう逆の感覚でした。

 

お客さんが絶対でしたし、お客さんからのクレームに対してはお店が100%悪いというような対応をしなければならないので、とても修行になりました。

 

パン屋→ベーカリーカフェ→カフェという風に仕事が変わっていきますが

 

自分が飲食業なんて今まで夢にもやろうとは考えてなかった飲食業が、たった一つのアップルパイのおかげで経験することになったのはこれまた不思議な出来事です。

 

最終的に、荻窪にある「ストラーダ」というカフェでラテアートの修行をさせてもらいました。(この話の詳細は次回書こうかなと思っています)

 

将来はカフェを開きたい、という夢は今でも胸の中にあります。

 

パン屋が人生を大きく変えた

人生は出会いによって、大きく変わっていきます。

 

その意味では、文転したことによって新しいことにチャレンジし、自分の世界が広がった時期でもありました。

 

文転しようと決意をしたこと、その信念を貫いて再受験したこと、新しい生活でさまざまな出会いがあったこと、当時の僕には感謝しています。

 

また支えてくれた周りの方にも感謝の思いが溢れてきます。

 

人生はなかなか思い通りにならないけれど、行動することによって変えられる部分が思った以上にけっこうあることを肌でひしひしと感じました。

 

これからも一つひとつの出会いを大切にして、新しいことにチャレンジしていきながら、人生という航海を楽しんでいきたいと思います。

 

人生を語る上で「パン屋」が僕の中ではキーワードになっています。

 

パン屋によって今の自分があるといっても決して言い過ぎではありません。

 

みなさんにとってのキーワードは何ですか?

30代でやりたいことリスト100

光陰矢の如し

最近とくに実感してやまないことは「時間の流れがとてつもなく早い」ということですね。とにかくめっちゃ早い!!やりたいことや、やらなければならないことは山積みなのに、一日・一週間・一ヵ月が飛ぶように終わってしまう。そこと現実との折り合いを気持ちの中でどのようにつけていくかが、これからの課題なのかなと思っています。

 

20代の振り返り続編はゆっくり書いていくことにして、まずは備忘録もかねて30代にやりたいことをとりあえず100個書いておきたいと思います(笑)順番に深い意味はないですw

 

30代でやりたいことリスト100

フィンランド教育視察に行く

シンガポール教育視察に行く

・ヨーロッパ一周

・東南アジアに行く

・アメリカに行く

・イギリスに行く

ニュージーランドに行く

・中国に行く

・台湾の千と千尋の舞台に行く

ウガンダに行く

シベリア鉄道に乗る

・ドイツに研究で訪問する

・結婚

・子どもを持つ

・卓球をつづける

・ジムに通う

・健康づくりに気を遣う

クロスバイクを始める

・10キロ痩せる

・日本酒を嗜む

・麻雀のプロテストに合格する

・雀荘に通う

・カードゲーム全国大会出場

・マジックザギャザリングを本格的にやる

・将棋につよくなる

ボードゲーム一通り覚える

・ゲームバーを友だちと開く

・カードショップを開く

・カクテル技術を学ぶ

ポケモン図鑑を完成させる

・東大合格

・TOEIC900

・TOEFL100

・英検

漢検

・数検

・歴検

・ドイツ語を学ぶ

・韓国語を学ぶ

・中国語を学ぶ

台湾語を学ぶ

・北海道に行く

・兵庫に行く

・四国に行く

・沖縄に行く

・各地の温泉巡りをする

・USJに行く

・ディズニーに行く

・アウトドア技術を学ぶ

・学習塾をひらく

・シアトルでラテアートの修行をする

ニュージーランドでキウイを見てくる

・カフェをひらく

合気道を習う

・日本中のフリースクールを訪問する

・学校をつくる

・完全に教育フリーランスとして生計を立てる

・教育本を500冊読む

・ビジネス書を100冊読む

・小説を100冊読む

・マンガを500冊読む

・アニメを100作観る

・映画を300本観る

・ジャズを古典から聞く

・ギターの練習をする

カホンの練習をする

・ドラムを始める

・バンドを結成する

Do As Infinity のライブに行く

・水曜日のカンパネラのライブに行く

・欅坂のライブに行く

加藤ミリヤのライブに行く

・アイドルをプロデュースする

・けん玉の練習をする

ルービックキューブの練習をする

ジャグラーになる

・ブログを更新しつづける

・大学院に行く

・教育系サイトを制作する

・デモクラティックスクール世界大会に参加する

・デモクラティックスクールアジア大会に参加する

・教育プラットフォームをつくる

・ホームエデュケーションを広める

・教育、雇用、福祉を横断したプロジェクトを実行する

・本を出版する

・生きづらさを抱える子ども若者の支援をする

・一眼レフを使えるようにする

・動画作成の技術を習得する

・お寺に行く

・ココナッツ専門店をひらく

・タピオカを日本に普及させる

・サラダをきわめる

・できるだけ自炊する

・農業に携わる

・さまざまなプロジェクトに参加する

・まちづくりに参画する

・防災教育をする

・キャリア教育をする

・有名人と子どもたちをつなぐ

・才能発掘プロジェクトを行う

 

できるできないは二の次にして、まずは書き落としてみることがきっと大事なのでしょうね。これからも色んなことにチャレンジしていきたいと思います(^^)日々是成長!

 

チャレンジは自分の世界を広げてくれるし、自分という人間を大きくしてくれます。

 

みなさんもぜひ「やりたいことリスト100」を作ってみてはどうですか?

20代の振り返り①~再受験~

20代の振り返りを記したいと思います

個人ブログを書くはかなり久しぶりなのですが、日々いろいろなものを経験・吸収していると体の内部にエネルギーが充電されて、放出されずにもやもやしてきます。なので定期的に外にアウトプットしていかなきゃと思いブログ再開しました(笑)

先日30歳という節目の年になったこともあり、何回かに分けて20代の10年間をじっくり振り返っていきたいと思い立ちました。半分は自分のためであり、残りの半分は読者のみなさんにとって「こんな人生もあるんだな」と参考資料にしてもらえたら幸いです。

僕にとって20代というのは不透明な時期であり、人生を咀嚼していきながら消化し、自分の人生の中で3大転機が訪れた極めて重要な時期でもあります。3つとは、【再受験】【東日本大震災】【NPO転職】です。まずは20歳のときに経験した再受験から綴っていきます。

 

再受験までの経緯

早稲田大学理工学部に入学した大学2年目。物理学を学ぶ一方で、本当に自分は宇宙物理の研究者になるべきなのか、人生の岐路に立たされました。そしてついに大学を休学し、2年生の10月にカナダへと留学することにしたのでした。

 

悩み悩んだ20歳の冬

20歳を迎えた2006年の11月、僕はカナダのトロントというところから帰ってきたばかりでした。なぜトロントに行ったのか。それは誰も知り合いのいない地で自分の人生を見つめるためでした。現地の語学学校に通って英語の勉強をしながら、ホームステイをしたり、韓国人の友だちとコリアンタウンに入り浸って議論をしたり、ナイアガラの滝を見に行ったりしました。そんな中で見つけた結論はただ一つ「もっと世界を知りたい」でした。

 

再受験に向けて始動!

日本に帰ってきて現実に引き戻されたとき、僕は東京外国語大学を受ける決意をしました。というのは、色々な世界の文化を学んでみたいと思ったし、大学内の転部の申し込みが終了していたからです(センター試験の申し込みは留学前に済ませていました)。これが11月末のことですからセンターまで2ヵ月ちょっと、2次試験まで3ヵ月と非常にタイトなスケジュールでした。ところが、もう間に合わないんじゃないか?という気持ちは当時の自分には微塵もなく、根拠なき自信に満ちあふれていました。今思い返すと完全に「若気の至り」ですね(笑)理系は高得点とれるから(たぶん)文系科目だけ対策すればよかったので気持ちはラクだったんでしょうね。

 

志望校変更、ふたたび早稲田へ

東京外国語大学の受験には世界史が必須だったのですが、今まで世界史の勉強をしたことがなかったので、予備校に通って受験勉強を始めました。日中は予備校で受験勉強、夜は学習塾でアルバイトで受験対策をするという不思議な生活wそんな折、早稲田大学で新しい学部ができるということを知り、志望校を変更することに。新しい学部は、第一文学部と第二文学部が再編され、文学部と文化構想学部に生まれ変わるというもので、僕は好奇心が強かったので色々なことが分野横断的に学べる文化構想学部を受けることにしました。受験科目は英語・国語・世界史。世界史はそのまま勉強を継続し、忘れていた英単語・古文・漢文の勉強も追加していきました。勉強場所は早稲田大学図書館が素晴らしい環境だったので(学生だけ利用可能だった)、早稲田大学の中で早稲田大学の受験勉強をしていたわけですw

 

再受験本番、そしてドキドキの結果発表

このようにして怒涛の受験勉強が終わり、本番を迎えました。英語と国語は絶好調だったのでしたが、世界史が難しすぎて手が出ませんでした(実際は時間がなさすぎて第一次世界大戦までしか勉強できなかった)。これはちょっと微妙だな~というのが率直な印象でした。そしていよいよ合格発表。結果的にはまさかの合格!!天井に手が届きそうなほど喜びました!ただ残念なこととしては、一番勉強したはずの世界史を使った受験は不合格で、センター試験を利用した別の受験方式での合格でしたwこれは地味にショックでしたね( 一一)とはいえ、受かれば新たなキャンパスライフ、落ちれば理工学部で留年をするというリスキーな賭けに勝ったわけです。今思うと、受験勉強2ヵ月しかないのによくチャレンジしたなぁと身震いします(汗)まぁ結果オーライですが、根拠なき自信に突き動かされて無謀なことをするのは「若さゆえの為せるわざ」と思いますねw

 

まとめ

利害や打算を超越して、心の声のままに突き進むことも時に大切だと思います。当時の僕は、どんな人生にしたいのか心から悩んで、苦しんで、模索して、がむしゃらに生きていました(今もリスキーな人生で三つ子の魂は変わらないような気もしますが・・・笑)。物理の研究者になるかどうかで迷い、決断して進路を変えた20歳の冬。今僕は教育の道を志しているので、当時の自分には心から感謝したいですね。と同時に、40歳の自分から感謝されるような30歳を過ごしていきたいなと思う今日この時です(^^)

2015年~2016年の近況報告@石巻フリースクールゆえん

ドイツに行ってきました

2015年はいろいろと忙しくも盛りだくさんの年でした!

2015年11月には日本代表としてドイツに教育視察訪問。難民問題をはじめとして様々な教育課題を抱える青少年をドイツ社会がどのように支えているのかを学ばせてもらいました。子ども若者の個性が開花できるように教育・雇用・福祉制度を横断して国・民間団体が手を取り合ってサポートしていることがとても印象的でした。日本団の仲間とは「けん玉ダンス」を披露したり、帰国後にはドイツの不登校研究プロジェクトをつくったり、つながりという意味でも刺激的でした!

 

そして2016年・・・退職から独立まで

2016年はいろいろと動きがあった年でしたね。ある意味で「転機」といってもいいかもしれません。前半は特記することもなく(忘れてるだけかもしれませんがw)、海外から吸収したことをいそいそと実践の日々。夏にはNPOを退職し、フリースクールゆえんとして独立しました。

 

台湾のアジア会議に出席

7月下旬には、前職NPOの有給休暇を利用して台湾で開催された第1回アジアデモクラティックスクール大会「APDEC」(エーピーデック)に1週間参加してきました。日・中・韓・台湾だけでなく、インド・イスラエルなどのデモクラティックスクール(海外ではフリースクールという呼称は使わない)関係者や、アメリカの教育研究者とも議論を交わしました。ちなみに、デモクラティクスクールとは「既存の教育とは違う新しい教育を実践している学校」ということで、子ども中心の民主的な運営を行っています。時代や社会が変わっているのに、教育が変わらないのはおかしい!と世界中の教育者たちが危機感を持ち、生き生きとして新しい教育のうねりを作り上げていることが心に残り、感動しました。なんというか、「一人じゃないんだ」という心強いエネルギーと勇気をもらいました。

 

そしてこれからは?

8月には、新しい平屋の一戸建てを借りて自宅兼フリースクール「ゆえん」を開設しました。経営は大変ですが、任意団体になったことにより、活動のフットワークが軽くなり小回りがきくようになりました。2人のコアスタッフ、地域のサポーターたちと一緒にフリースクールをやっていきたいと思っています。今年ももう終盤。2017年はどんな年になるんでしょうか?とても楽しみです(^^)