映画『バベルの学校』が凄かった!
◆「未来をつくるために学校に来ています」と生徒が語る最高の教育現場『バベルの学校』の目撃者に今!
仕事の研修で東京に来ています。
せっかく東京に来たんだから!ということで観てきました、ドキュメンタリー映画『バベルの学校』。
結論から申し上げますと、圧巻と感動と号泣でした。
ネタバレしない程度に紹介したいと思います☆
◆映画のストーリー
アイルランド、セネガル、ブラジル、モロッコ、中国・・・。11~15歳の子どもたちが世界中からフランスのパリにやってきた。
24名の生徒、20の国籍、そして24のストーリー。家庭的な事情でやってきた者、つらい母国の生活から逃れてきた者、亡命を求めてやってきた者、または単によりよい生活を求めて移民して来た者など理由はさまざま。
フランスに来たばかりの彼らが入ったのは適応クラス。このクラスでフランス語を学び、話せるようになるための集中トレーニングを受け、やがては通常のクラスに移るために、他の教科も学んでいく。
国籍も宗教も、フランスに来た理由も違う子どもたち。ときに大声で口論し、泣き、自暴自棄になる子も。
ブリジット・セルヴォニ先生は、そんな子どもたちを驚くほどの辛抱強さで見守り、なだめ、そして導いていく。
彼らは異国の地フランスで、言葉もままならないなか葛藤を抱えて新生活を始め、ときにぶつかりながらもさまざまな壁を乗り越えて友情を育んでいく。
彼らが見せてくれる無邪気さ、熱意、そして悩み。その姿は私たちに未来への希望を見せてくれる。
(以上パンフレットより)
◆映画の舞台
舞台はフランスのパリ10区にあるグランジェ・オ・ベール中学校にある「適応クラス」のお話です。
◆適応クラスとは何か?
フランスに来たばかりの移民の子どもたち(中学校段階)に集中的にフランス語を教えるクラスのことです。
フランス語のレベルや、母国での教育レベルに応じて段階的に普通学級へと移行するための、いわば調整のクラスです。
◆フランス事情
近年は制御傾向にありますが、フランスは移民受け入れに対して比較的、寛容な姿勢をとってきました。
その一方で、アンテグラシオン(統合、同化)政策として、フランス語教育を提供しています。
今回はまさにその現場の様子が描かれています。
◆映画を観て感じたこと
(1)適応クラスの授業スタイル
バベルの学校では、先生が一方的に授業をするのではなく、さまざまな国籍の子どもたちが慣れないフランス語を使いながらも真剣にディスカッションを交わしています。しかも話題は日常のささいなことから人生の意味や宗教問題にまで及び多岐にわたっています。
ほとんどの生徒は自分の意思でフランスに来たわけではなく、親の都合です。経済、社会、政治的理由など。そんな中、適応クラスの子どもたちは自分たちの夢に向かって勉強しています。
体はまだ小さいかもしれないけれど、自分の人生をしっかりと背負って生きている。そんな彼らの姿を見て胸が熱くなりました。
魂のディスカッションが自然に生まれる場こそ最高の教育だと思いますし、究極のアクティブラーニングだと感じました。
(2)セルヴォニ先生の素晴らしさ
2つ目に印象的だったのは、セルヴォニ先生の教育観です。留年を言い渡されたある女の子が反発するシーンがあるのですが、セルヴォニ先生は彼女の気持ちを受けとめて、ひとりの人間として心から向き合っていました。
ここに教育者としての素晴らしさがひしと伝わってきました。
(3)異文化の中での教育
この映画のテーマは「多文化共生」。多様な国籍を持った子どもたちが一堂に会します。当然そこには単に「個性の尊重」という綺麗な言葉だけでは片付けられない困難が伴います。それぞれの抱える文化や家庭環境、特性が異なるので、クラスでは衝突が起きますし、多くの葛藤が生み出されます。そのような混沌の中で、どのように共存していくかが問われています。
しかし、これは何もフランスに限った話ではなく、そう遠くない未来の日本の姿でもあると僕は思っています。そのときに島国日本の教育者はどのように対応していくのか、今から考えておかなければならないテーマです。
◆まとめ
ドキュメンタリー映画『バベルの学校』は本当に素晴らしい映画でした。学ぶことも多く、最後は観客一人ひとりがほんわかと優しい気持ちになって幕を閉じます。笑いあり、涙あり、悲しみあり、暖かみありの内容ですので、
子どもも大人も、そして教育・支援に携わるすべての方々にぜひとも観て頂きたいと思います(^^)
★映画『バベルの学校』公式サイト
http://unitedpeople.jp/babel/
気が合う人と合わない人の唯一の基準
仕事の現場などで、子ども若者たちと接していると、
・子どもたち同士の相性
・子どもと大人(たとえば支援者)との相性
・大人同士(同僚や他団体)の相性
というものをすごくよく肌で感じます。
ふだんの日常でも、毎日でも飲みに行きたいくらい気の合う友だちもいれば
ひどくマインドの合わない人もいます。
すごく不思議ですよね。
みなさんは疑問に感じたことはありませんか?
僕は昔からすごく疑問に感じていました。
みんなに平等に気持ちよく接していきたいなぁと思う一方で、心の中に好き嫌いにこだわる自分もいる。
同時に、みんなから良く思ってもらいたい、嫌われたくないという感情も共存している。
もちろん、立場上(これは仕事という意味で)、当事者や同僚の人たちには礼を失しないように接しなければならない。
いわゆる接していて気持ちのよい人、みんなから好かれる人の特徴はだいたい決まっていて、
・気遣いができる
・笑顔
・優しい
・おもしろい
・自分の意見を押しつけない
・こちらの話をよく聞いて受け止めてくれる
などの共通点があり、接客や相談員は最低限求められるスキルであり、つねに磨いていくことが必要かもしれません(僕もまだまだ)
さらに、おもしろいことに
「接していて気持ちのよい人」=「気の合う人」
という方程式は必ずしも成り立っていないということです。
一緒にいて心地よい、苦じゃない、という感情の部分は、理屈とは一線を画した何かがあるのではないかと
僕はひそかに感じています。
つまり、気が合うか合わないかの分かれ道は【直感】です。
いやいや、そんなことは当たり前じゃないかと思われるかもしれません。
でもこの事実(とあえて呼ばせてもらいます)は、教育や支援の分野においては、きわめて重要なことだと思っています。
それは何故かというと、
この世界には、
あなたによってしか救われない子どもたちがいるかもしれないからです。
あなたに出会うことによって心が和らぎ、人生が好転していく人が必ずいると思います。
何かこう思うと、気持ちが暖かくなってきませんか?
少なくとも僕は、この考え方によって救われました。
たとえば、中高生に勉強を教えていた大学生時代、「小澤先生の教え方の雰囲気が好きじゃない」、「男性はムリ」(初めから言ってくれよ!)などのクレームを受けたことがあり、正直凹んだ時期がありました。
自分はなんてダメな人間なんだ・・・
なんでもっと面白く楽しく授業できないんだろう・・・
でも逆に、落ち着いた雰囲気が好き、顔が日本人っぽくないけど何となく好き(笑)などと言ってもらったこともあり、
自分でも役立つことがあるんだな、とその時うれしく感じたのを覚えています。
今でも、縁あって出会った子どもたちにはみんなに良い教育者・支援者でありたいとは思っていますが(そして日々奮闘していますが)それは土台から不可能で
理屈や努力では越えられない「相性」という壁が立ちはだかります。
今では(良い意味で)開き直り、僕自身がくるりと回れ右をして、
フィーリングの合う子ども若者たちには、僕にできる精一杯の範囲で機会を提供してあげたいという心積もりでいます。
なので、教育・支援に携わっている方がこのブログを読んでいらっしゃいましたら、
皆さんだからこそ良い影響を与えられる子どもたちが、世界には必ず待っているということを信じて、皆さんならではの教育を全力でして頂きたいと願っています(^^)
天職を見つけるための「can思考」
みなさんこんばんは!小澤です。
今年はインプットが多くなりそうな一年なので
ブログでのアウトプットに挑戦してみたいと思います。
自分自身の備忘録もさることながら、このブログを読まれる方にもプラスになるような内容を綴っていきます。(たぶんw希望的観測です)
ふだん僕は石巻で不登校の子どもたちの支援をしているのですが、そこでの現状や、僕がそこで感じたこと思ったこと、支援者としての想い、いつも子どもたちに伝えていること、キャリアセミナーの内容、
そして将来はライフワークとして学校を設立したいという夢を抱いていますので、まずはフリースクール立ち上げまでの奮闘の様子などもリポートできたらと思っています。
ので、お手柔らかに見守って(ときに辛辣なご意見も)頂けましたらこれ幸いです。よろしくお願い致します。
さて、ふだん子ども若者たちの進路相談に乗っていて、「やりたいことが分かりません」「やりたい仕事がありません」という声をよく聞きます。
理由はいくつか考えられるのですが、一般的に知識・経験が少ない中での選択は難題だと思います。
やりたいこと=天職、みたいなイメージをもっている人も多いですが、
10代ですでにライフワークとしての天職を見つけ、その道で生きている人たちは実際は地球上のほんの2%くらいなものです。
20代30代で一生懸命働き、迷いながら、模索していく中で、「自分にはこういう仕事が向いているかな?」とじわじわと分かってくるものだと思います。
だから相談にくる子ども若者たちには、
やりたいことが見つからないなら「can」を広げてみようよ~と話すこともあります。
◆「can」=可能性
10代20代は可能性の宝庫です。(もちろん30代以降も!)
肩肘を張って、やりたいことを無理に探すのではなくて
少し落ち着いて「can」を広げてみる。自分にできる幅を広げていくのです。
それに、天職は、「can」の中から見つかるケースも少なくありません。
そしてさらに面白いことに、人間の心理として、
何かを選択するときは「できること」を基準に考えることも多いですし(特に転職)、「できること」がいつの間にか「好きなこと」に変わってしまうことも多いようです。
このあたりのメカニズムは、時間があるときに詳しく書きたいと思いますが、
とりあえず今回お伝えしたいことは
「can」を広げることで、「天職の候補」が増えていくということです(^^)