5~10月の近況報告&フリースクール石巻フォルケの新たなチャレンジ
「将来の夢」を聞いた時の即答率がフィリピンと日本で違っていた~フィリピン視察報告②~
フィリピンの子どもに聞いてみた
将来の夢って何?
フィリピンでゴミを集めて生活している子どもたちの将来の夢を聞く機会がありました。
返ってきた答えは「finish study」
学業を終えること。
フィリピンの場合、小学校が6年あり、その次に中学校がなくて高校が4年間あります(あるいは中学校と高校が合わさって4年間と考えてもよいと思います)。
高校を卒業したら働くか、大学に行くという選択肢もあります。
フィリピンの人たちにとって「学業を終える」というのは、「大学を卒業する」ことを意味しています。
フィリピンでは、小卒か高卒か大卒かで、生涯賃金が決定的に変わってくる。
貧困から脱し、豊かな生活を送るためには、大学卒業が最低ライン。
そしてそのことを、子どもたちはすでに幼い頃から体感覚で分かっているのです。
家族が大好きだから家族と離れなければならない
他の子どもはこう答えました。
「help my mother」
お母さんを助けること。
フィリピン人の国民性は、とにかく家族愛が強いというところにあります。
家族が好き、母親が好き。
(フィリピンはキリスト教カトリックが多いので、避妊や中絶が禁止。ゆえに父親がいないシングルマザーも多く見受けられます)
家族の貧しさを助けるために、外に出て働き、お金を稼いでくる。
小学校の頃からすでに、子どもたちにはこの感覚があるのです。
家族が大好きだから、家族と離れ、一生懸命に働いて稼ぎ、家族にお金を送る。
僕の英会話のフィリピン人の先生は、毎月の給料から10万円以上を母国に住むお母さんに海外送金しているそうです。
それほど、フィリピンの家族は国境を越えて強い絆で結ばれているわけです。
日本とフィリピンで異なる「夢の即答率」
僕が注目した(というか気になった)のは、将来の夢をたずねた時の返答までの時間でした。
仕事柄、日本の子どもたちに将来の夢を聞く機会が多いのですが、即答する子どもはそれほど多くないように感じます。
少なくとも、不登校・ひきこもりの相談を受けていると、85%以上の子ども若者は即答できません。
「まだ分かりません」とか
「思いつきません」とか
「・・・(沈黙)」とか。
フィリピンでは一つの国の中にさえ、先進国と発展途上国が存在しているかのように貧富の差が激しく、身近に目標やロールモデル(ときに嫉妬の対象)を生み出しやすいのですが、
日本はとても恵まれていて、平均的に、生きることが保障されているから、ひょっとしたら明確な目標を持ちにくいのかもしれません。
成熟した社会と途上社会との違いもありますが、僕には他にも要因があるように思えてなりませんでした。
じゃあ夢を語れる子どもたちが増えるには
日本の教育には何が求められるのだろう?
僕がフィリピンで感じ取った1つの結論としては
「経験」
だと思います。
様々な人と出会い、いろいろなものや出来事を見聞きして体験する。
五感を通しての体験。
さらに、その体験が自分の人生にどのような意味があるのかを咀嚼して、取り込む。
今どう感じているのか?
そして、未来に向かって、新たな歩みを運んでゆく。
この過去・現在・未来の一連のプロセスが「経験」です。
「経験」=「体験」+「意味」
日本の教育を見ていると、座学が圧倒的に多いし、その多くが彼らの人生と結びついていないし、結びつけるような対話が日々なされていないような気がします。
経験の欠如。
「なんで勉強しなければいけないの?」
現場で多く見られるこの問いは、そのことを象徴的に物語っているように感じます。
「世界」と「自分」が結びついたとき、
人は世界の中で、自分の人生を歩み始める。
僕はこれからの日本を生きる子ども若者たちに、自分の人生の主人公になってもらいたいと願っています。
『dream』の古英語の語源は『喜び』という意味だそうです。
日本の子どもたちには、自分の夢を抱いてもらいたいし、生きていることにもっと喜びを感じてもらいたい。
そんな教育の想いが底流する学校をつくりたいと、僕は『夢』を持っています。
貧困から抜け出すための二つの道~フィリピン視察報告①~
貧困から逃れるということ
フィリピン人が貧困から抜け出して幸せになるには、二つの道があると聞きました。
一つは、外国に行って働くという道。そしてもう一つは、外国人と結婚すること。
現地の人に聞いた話だと、フィリピンでの日給は350ペソ(945円)くらいだそうです。
日本だと都会のコンビニで時給1000円のところもあるので、実に8倍の違いがあります。
それどころか、これはもし働いたらの話であって、仕事にありつけない人たちもたくさんいるのです。
貧困の連鎖。貧困から抜け出すことがいかに困難なことであり、大変なことなのか、フィリピン社会はそれらの多くを物語っています。
家族想いのフィリピン人は、海外で働いて家族にお金を送ることを夢見ている人もたくさんいますが、海外に行くこと自体が、雲の果てのごとく、遠いのです。
ゴミは”ゴミ”じゃない、”宝”であり、”希望”なんだ
今回の視察で訪れたマニラのスラム街「Smoky Mountain」には、マニラの町中からゴミが集められ、到着するやいなや、下に埋もれないように、住人たちが手早く回収していきます。
金属は高く売れる。だから銅とか鉄とかは貴重です。
なかには、ファストフードの食べ残しのチキンをもう一度焼き直して売っている人もいるそうです。
使用済み注射針が飛び出ていたりと、子どもたちがゴミ集めをするには危険で、制限がかけられつつあります。でも子どもたちには遊ぶための場所がありません。NGO団体が公園を作っても、ブランコなどの遊具の金属が盗まれてしまうからです。
鼻を刺すゴミのにおい、飛び交うハエ、、、、
ゴミ山に住む彼らの住環境は劣悪ですが、それでも彼らは日々を生きています。
そんな彼らにとってゴミはゴミじゃない、宝であり、明日への希望なんです。
ゴミを分別して売れるものを売ってお金を稼ぐ仕事「スカベンジャー」は、多くの人々の命をつなぐ仕事。
だから、ゴミ処理技術の向上は、彼らにとって"死"を意味し、そこに社会としての矛盾や葛藤が横たわっています。
今はまだ叶う余地なき夢
「将来の夢って何?」
僕は思い切ってホームステイ先の家庭にいた20代の女の子に質問してみました。
すると彼女は、外国に行って働くことよ、日本に行きたい、と話してくれました。
「いつ日本に行きたいの?」
「さあね・・・まず航空チケットが高すぎて買えないわ」
彼女は大学を卒業し、僕と同じ就職カウンセラーの仕事をしていました。フィリピンでは大学を卒業できれば裕福な身分。それでも、海外に行くということは果てしなく雲の上であり、夢のまた夢なのです。
どうして海外に行きたいの、聞くと、彼女はトーンの一つ低い声でこう答えました。
High salary...
明日に裏切られたくない、そんな思いが今の彼女を取り巻いていた。
貧困なき明日に向かって
貧富の格差が著しい国、フィリピン。圧倒的な対症療法も大事だし、社会システムから見た抜本策も必要だと感じました。
「貧しさの中にあり、それでも彼らの微笑みは輝いていた」なんて慰め的なことは正直思わなかった。やっぱりお金は無いよりも有った方がいい。と思った。まずは。
お金が有ることで、物質的な豊かさだけでなく、様々な教育機会や経験を得ることができ、貧困から抜け出る初動のエネルギーを得ることができる。
フィリピンの人たちから見ると、先進国としての日本は、そしてその構成員である僕たちは、いわば「未来の理想の姿」。
今はまだ日本にも種々雑多な課題があり、ロールモデルとして胸を張ることはできないかもしれません。
が、いつかは発展途上の国々が安心して経済成長を進められるような人にも環境にも優しいモデル国「JAPAN」を目指していきたいと思っています。僕は教育の現場から。
貧困という理由だけで教育機会を失ってしまう子ども若者がゼロになりますように。
今回のフィリピン視察をきっかけに貧困から抜け出すための道を模索していきたいと思います(^^
僕がデンマークに飛んだ理由~デンマーク視察報告①~
デンマーク視察に行ってきました!
最近は年度変わりでバタバタしており、ブログをしばらく更新していませんでした(言い訳w)。今から約1ヵ月前のことになりますが、教育先進国といわれているデンマークに視察に行ってきました。幼稚園、小中高校、障害者施設、大人の学校、その他民間団体など10ヵ所程を訪問させて頂きました。
やはり噂に聞いていたように、素晴らしかったところがデンマークにはたくさんありました。またその一方で、もやもやっとした点もいくつかありました。今回から10回くらいに分けて、レポートをしたいと思います。
フリースクールを設立することの意味
僕は今、石巻でニート・ひきこもり支援をしていますが、何百人ものいろいろな子ども・若者の相談に乗っていると、小学校や中学校から不登校になる(公教育になじめない)ということがひきこもりの1つのきっかけになっているのではないか?という疑問が浮かび上がってきました。そこで、対症療法だけではなく、未然防止も同時に行っていく必要もあると思い始めたわけです。そういうわけで僕は、「石巻フリースクール」を設立することを決意しました。
ひきこもりを生み出してしまう日本の教育は教育ではないと思った
僕は「教育」とは「将来自立して社会で生きていける力を養うこと」と位置づけています。社会は刻一刻と変化をしており、僕らを取り巻く環境も変化していますので、そのような中で、生きる力も生き方も当然変わってくるものです。だとするならば、もちろん教育も変わってくるはず。でもなぜ日本の公教育はさほど変わっていないのか。ここに大きな疑問を感じています。だから、日本の教育を民間の立場から変えていきたい。これが僕の今の想いです。
日本の公教育は素晴らしい!
矛盾に聞こえるかもしれませんが、僕は日本の公教育はとても素晴らしいと思いました。それは「すべての人にとって」ではなく、「僕にとって」という制限付きです。僕にとってはとても素晴らしいシステムだった。なぜなら、僕は子どものころから好奇心が旺盛で、勉強が大好きだったからです。だから知識伝達型の日本教育がすごく肌に合っていました。しかも、高校生のときは宇宙物理の研究者を目指していたし、早稲田の理工学部に進学したので、小中高に学んだことが活かされていました。そのような意味で、僕のような人間には今の日本教育は素晴らしいと思います。これは決して僕が頭がいいとか凄いということではなくて、タイプの問題です。世の中にはスポーツができる人もいれば、絵を描くのが上手な人もいる。同じように僕みたいに知的好奇心が強いという人間も少なからずいます。興味や特徴が人それぞれ異なるというだけの話であって、「勉強できる=すごい人」という図式は僕は嫌いです。しかし社会常識的には未だに「学歴(偏差値)というモノサシ」で僕らは測られる傾向があるのでそのようなイメージになってしまいます。
つまり、もともと勉強が好きで、将来は頭脳労働の仕事に就く人に限っては日本の知識教育はまだある程度は有効なのではないかと思っているわけです(ただしそれでも従来のやり方は時代遅れにはなってきていると感じています)。
そしてデンマークに・・・
それで、日本には様々な子どもたちがいるわけでして、みんながみんな勉強が好きとは限りませんし、勉強以外のステキな才能を持っている子どもたちもたくさんいます。そういう子どもたちに画一的な授業をすることはおかしいと思います。ではどうすればよいかというと、まず方法は2つ考えています。
①一つは、学校教育の中身や方法を変える。(好奇心や主体性、アウトプットの仕方など)
②もう一つは、民間の学校を選べるという選択肢を増やすことです。
僕は民間NPOの立場から、日本における教育の選択肢を増やしたい、教育の自由化を推し進めたいと思い、教育先進国であるデンマークを選びました。
教育の自由化(制度や国民の意識等)については素晴らしいと思いましたので、そのことについてもブログで報告していきたいと思います(^^)
衝撃の私立高校10ヵ条
たゆたう欲望
「2、3日考えさせていただいてもよろしいですか?
あ、はい・・・すみません・・・よろしくお願いします」
電波上の相手に頭を下げながら、僕は電話を切った。
正直迷っていた、お金を取るべきか、やりがいを取るべきか・・・
いちおうギリギリ生きていける額面ではある。しかし、これではまるでアルバイトと同じではないか?むしろ、アルバイトの方が高いかもしれない。
明らかに居所をなくした欲望が、胸中で、たゆたっていた。
「お金」と「やりがい」のはざまで
2年前、僕は塾講師をやめてNPOへの転職を考えていた。どうしてもNPOで働きたかった。なぜなら、受験産業というビジネス寄りの教育ではなくて、セーフティネット寄りの支援としての教育に携わりたかったからだ。
しかし話はそう簡単ではない。やりがいのためとはいえ、給料の額は想像以上にシビアだった。そして現実を見たとき、僕の信念はポキッと音を立てて折れてしまっていた。
ノンビジネスにはお金は集まらない。助成金や寄付金ベースのNPOで働くということは、同時に、それまでの収入を手放すことと同じ意味合いを帯びていた。
お金があれば、(高級とまではいかなくとも)それなりに美味しいものも食べれるし、旅行にもいけるし、高額のセミナー(あやしい意味ではなくて資格取得の意味でw)にも参加できる。
一方で、お金がなければ、選択や成長のチャンス・可能性が狭まっていく。
振り子がちょうど真ん中で止まってくれればいいのに、と願いながら、それでもどうにもならない現実から逃れるように、その夜テレビのスイッチをつけたのだった。
ムチャクチャな教訓
コチャン高校「職業選択の10ヵ条」
・給料が少ないほうを選べ
・自分が望むところではなく、自分が必要とされるところを選べ
・昇進のチャンスがほとんどないところを選べ
・すべて条件がそろっているところは避けて、イチからはじめねばならない荒れ地を選べ
・先を争って人が集まるところには絶対に行くな。だれも行かないところに行け
・将来性がまったくないと思われるところに行け
・社会的な尊敬が期待できないところに行け
・真ん中ではなく、端に行け
・両親や配偶者、婚約者が命がけで反対するところなら間違いない。迷わず行け
・王冠ではなく断頭台が待つところに行け
そして2年後の今に思うこと
投げられたイスとサイコロ
投げられたイス
大学生3年生のとき、とある広告代理店で2ヵ月間のインターンをしていたことがありました。
僕はケータイと名刺とパソコンを手渡され、営業部に配属。
てっきりクールな仕事ができるとばかり思っていました。
ところが実際は、中卒あがりで体育会系の上司。
もちろん人間性と学歴は関係ないのだろうけど、当時の僕は社会というものをよく知らず、斜に構えているところがあったわけです。
(今はどうなのか?と聞かれたら弁解の余地はないのですがw)
案の定というべきか、日に日に、フラストレーションがたまっていき、ついに沸点を迎えます。
「あなたの下では働けません」と率直に告げました。
そして、僕はオフィスの中で、イスをぶん投げられることになったのですw
今となっては語り草ですが、当時は深刻な問題でした。
一緒に毎日仕事をする上司との相性は、仕事をしていく上での生命線だからです。
投げられた賽(サイコロ)
基本的に、会社に入るまではどんな上司に当たるかは分かりません。
尊敬できる上司かもしれないし、ソリの合わない人かもしれない。
会社に入って上司や同僚と馴染めず、人間関係が原因で退職してしまう人はたくさんいます。
最悪の場合、病気やトラウマに陥るケースもあります。
解決策としては、お互いに分かり合う努力と話し合いを行っていくか、あきらめて割り切ってしまうかだと思います。
うつになるほどの事態であれば、人事に掛け合うか、転職するか、心療内科に行くことをオススメします。
上司とバトルしよう!
バトルには、2種類あります。
やって悪いバトルと、やって良いバトルです。
悪いバトルとは、大学生の僕みたいな感情をぶつけあう子ども同士のケンカです。
一方で、良いバトルもあります。
それは、仕事の内容をめぐる活発な議論のことです。
感情的になったり、失礼な言い方は極力ないように気をつけなければなりませんが、仕事の方針や方法については思いきり議論すべきだと思います。
相手の意見を尊重し、かつ、自分の気持ちもきちんと伝える。
このコミュニケーションスキルを「アサーション」と言います。
みなさんも機会があれば、仕事の内容についての議論(良いバトル)を積極的に行ってみてください☆
要は、バトルすること自体が悪いことなのではなく、バトルする中身の問題だと思います(^^)
アドバイスよりも効果的なアドバイス
「アドバイスをしてはいけない」の謎
以前、キャリアカウンセラーの勉強をしていたとき、「アドバイスをしてはいけない」と教わったことがありました。
そのときは、「アドバイスするのがカウンセラーの役目なのに、なぜなんだろう?」と完全に疑問に思っていましたが、最近その意味が少しずつ分かり始めてきたように感じます。
というのは、子ども若者支援の現場では、アドバイスのたぐいは約95%以上が「アクション」につながっていないと判明したからです。(個人調べ)
アクションにつなげるという目的を前提とした場合、アクションにつながるか否かの大事な3大ファクターとしては
- 信頼関係
- 実現可能性
- 本人の自信
がよく挙げられます。
しかし最も大事なことは、「セルフ・エンパワーメント」だと個人的に思っています。
セルフ・エンパワーメントとは何か?
セルフ・エンパワーメントとは、一言でいうと
「自分で自分を後押しする力」のことです。
エンパワーメントは支援業界では有名な考え方で、最近ではその価値が広く
認められ、多くの現場で取り入れられてきています。
エンパワーメント
社会的弱者や被差別者が、自分自身の置かれている差別構造や抑圧されている要因に気づき、その状況を変革していく方法や自信、自己決定力を回復・強化できるように援助すること。またはその理念。「庇護」や「救済」ではなく、本来の権利や人格を保つために力を付与する(エンパワー)という考え方に沿って、教育や支援を行う。フェミニズム運動や反差別運動から始まった。例えば、夫に抑圧されている妻が自助グループを利用し、自己の心理的・経済的自立を図る支援もその1つ。不当な力に対抗する知識や手段、権利意識の習得を支援することで、主体的かつ能動的な権利擁護を目指す新しいアプローチ。
外部からの働きかけによって動かされた場合、短期的に見れば行動につながるような感じがしますが、そのあとの継続率が低下していきます。
一方、エンパワーメントによって自己効力感が高まっている人は、自分の内部から行動を起こしていこうというパワーがあふれ出してくるので、そのあとのアクションには明らかな威力があります。
そしてそのようなエンパワーを自分でできるように促していくことができるのが、最高の支援者・教育者だと僕は思います。
アドバイスよりも効果的なアドバイス
アドバイスよりも効果的なアドバイスは「アドバイスしないこと」。
これが子ども若者たちから教えてもらった教訓です。
もちろん、どういう通信制高校があるかとか、方程式の解き方とか、履歴書の書き方などの専門的な情報・スキルはアドバイスします。
でも進路のことについては一切アドバイスはしない。せいぜいやることといえば選択肢を提供するくらいです。
自分の進むべき道は、自分で決める。
驚くべきことに、今、決められない若者たちが増えています。自分で決めたことに対しての責任を取るのが恐いからかもしれません。
だからこその「セルフ・エンパワーメント」。
自分で決めるという小さなタネが、見えない力で後押され、やがてキレイな花を咲かせることでしょう(^^)