気が合う人と合わない人の唯一の基準
仕事の現場などで、子ども若者たちと接していると、
・子どもたち同士の相性
・子どもと大人(たとえば支援者)との相性
・大人同士(同僚や他団体)の相性
というものをすごくよく肌で感じます。
ふだんの日常でも、毎日でも飲みに行きたいくらい気の合う友だちもいれば
ひどくマインドの合わない人もいます。
すごく不思議ですよね。
みなさんは疑問に感じたことはありませんか?
僕は昔からすごく疑問に感じていました。
みんなに平等に気持ちよく接していきたいなぁと思う一方で、心の中に好き嫌いにこだわる自分もいる。
同時に、みんなから良く思ってもらいたい、嫌われたくないという感情も共存している。
もちろん、立場上(これは仕事という意味で)、当事者や同僚の人たちには礼を失しないように接しなければならない。
いわゆる接していて気持ちのよい人、みんなから好かれる人の特徴はだいたい決まっていて、
・気遣いができる
・笑顔
・優しい
・おもしろい
・自分の意見を押しつけない
・こちらの話をよく聞いて受け止めてくれる
などの共通点があり、接客や相談員は最低限求められるスキルであり、つねに磨いていくことが必要かもしれません(僕もまだまだ)
さらに、おもしろいことに
「接していて気持ちのよい人」=「気の合う人」
という方程式は必ずしも成り立っていないということです。
一緒にいて心地よい、苦じゃない、という感情の部分は、理屈とは一線を画した何かがあるのではないかと
僕はひそかに感じています。
つまり、気が合うか合わないかの分かれ道は【直感】です。
いやいや、そんなことは当たり前じゃないかと思われるかもしれません。
でもこの事実(とあえて呼ばせてもらいます)は、教育や支援の分野においては、きわめて重要なことだと思っています。
それは何故かというと、
この世界には、
あなたによってしか救われない子どもたちがいるかもしれないからです。
あなたに出会うことによって心が和らぎ、人生が好転していく人が必ずいると思います。
何かこう思うと、気持ちが暖かくなってきませんか?
少なくとも僕は、この考え方によって救われました。
たとえば、中高生に勉強を教えていた大学生時代、「小澤先生の教え方の雰囲気が好きじゃない」、「男性はムリ」(初めから言ってくれよ!)などのクレームを受けたことがあり、正直凹んだ時期がありました。
自分はなんてダメな人間なんだ・・・
なんでもっと面白く楽しく授業できないんだろう・・・
でも逆に、落ち着いた雰囲気が好き、顔が日本人っぽくないけど何となく好き(笑)などと言ってもらったこともあり、
自分でも役立つことがあるんだな、とその時うれしく感じたのを覚えています。
今でも、縁あって出会った子どもたちにはみんなに良い教育者・支援者でありたいとは思っていますが(そして日々奮闘していますが)それは土台から不可能で
理屈や努力では越えられない「相性」という壁が立ちはだかります。
今では(良い意味で)開き直り、僕自身がくるりと回れ右をして、
フィーリングの合う子ども若者たちには、僕にできる精一杯の範囲で機会を提供してあげたいという心積もりでいます。
なので、教育・支援に携わっている方がこのブログを読んでいらっしゃいましたら、
皆さんだからこそ良い影響を与えられる子どもたちが、世界には必ず待っているということを信じて、皆さんならではの教育を全力でして頂きたいと願っています(^^)