おざろぐ

東北から教育とか趣味とかをつづるブログ

衝撃の私立高校10ヵ条

たゆたう欲望

「2、3日考えさせていただいてもよろしいですか?

あ、はい・・・すみません・・・よろしくお願いします」

電波上の相手に頭を下げながら、僕は電話を切った。

 

正直迷っていた、お金を取るべきか、やりがいを取るべきか・・・

いちおうギリギリ生きていける額面ではある。しかし、これではまるでアルバイトと同じではないか?むしろ、アルバイトの方が高いかもしれない。

明らかに居所をなくした欲望が、胸中で、たゆたっていた。

 

「お金」と「やりがい」のはざまで

 2年前、僕は塾講師をやめてNPOへの転職を考えていた。どうしてもNPOで働きたかった。なぜなら、受験産業というビジネス寄りの教育ではなくて、セーフティネット寄りの支援としての教育に携わりたかったからだ。

しかし話はそう簡単ではない。やりがいのためとはいえ、給料の額は想像以上にシビアだった。そして現実を見たとき、僕の信念はポキッと音を立てて折れてしまっていた。

ノンビジネスにはお金は集まらない。助成金や寄付金ベースのNPOで働くということは、同時に、それまでの収入を手放すことと同じ意味合いを帯びていた。

お金があれば、(高級とまではいかなくとも)それなりに美味しいものも食べれるし、旅行にもいけるし、高額のセミナー(あやしい意味ではなくて資格取得の意味でw)にも参加できる。

一方で、お金がなければ、選択や成長のチャンス・可能性が狭まっていく。

振り子がちょうど真ん中で止まってくれればいいのに、と願いながら、それでもどうにもならない現実から逃れるように、その夜テレビのスイッチをつけたのだった。

 

ムチャクチャな教訓 

その夜、たまたま観た番組で、韓国のある私立高校の教訓が紹介されていた。

その10ヵ条を聞いて、全身に衝撃が走った。
「なんてムチャクチャな!!」

 

コチャン高校「職業選択の10ヵ条」

 

・給料が少ないほうを選べ

・自分が望むところではなく、自分が必要とされるところを選べ

・昇進のチャンスがほとんどないところを選べ

・すべて条件がそろっているところは避けて、イチからはじめねばならない荒れ地を選べ

・先を争って人が集まるところには絶対に行くな。だれも行かないところに行け

・将来性がまったくないと思われるところに行け

・社会的な尊敬が期待できないところに行け

・真ん中ではなく、端に行け

・両親や配偶者、婚約者が命がけで反対するところなら間違いない。迷わず行け

・王冠ではなく断頭台が待つところに行け

 

 

そして2年後の今に思うこと

結局、僕は内定をもらったNPOで働くことを決意した。提示された給料は決して納得できるレベルのものではなかったのだが、今は別の意味で、納得できない。

なぜなら、本来、授業料を払ってでも学ばなければならない大切なことを、給料をもらいながら学ばせてもらっているからだ。

石巻で日々接する子ども若者たちから、陳腐な言葉や金額では表せないほどの多くのことを学ばせて頂いている。


「給料が少ないほうを選べ」

あの日、あの時、あの瞬間、

コチャン高校の教訓がなかったならば、今の僕は100%あり得なかったと心から思う。

10ヵ条に書かれていることは、一見ムチャクチャで非現実的にしか思えないけれど

その真意は「苦労を選べ」ということなのかもしれない。

苦労の先には成長が約束されている。

確かに、この2年間は経済的にも仕事内容的にも大変だった。(もちろん今もw)

でも、この間の成長幅は、今までの人生のどの2年間を切り取ってみても、それらを遥かに凌いでいることが分かる。

自分が成長できる環境か否か、という判断軸をもって、これからも選択に身を投じていきたいと思う。

お米がとれれば、藁は副産物として手に入るはずだ。