おざろぐ

東北から教育とか趣味とかをつづるブログ

2017年の目標は「選択と集中」

今年の目標

あけましておめでとうございます。2017年があけました。

 

年明けは、スタバで読書したり、DVD観たり、スキーに行って過ごしました。

 

新年最初に読んだ本がこれ

 『30代でやるべきこと、やってはいけないこと』

 

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20代と30代では人生における位置づけや役割が違うし、後悔しない人生を歩むために生き方を変えていかなければなぁと思って手に取りました。

 

読んでみると、30代の心構えや具体的な行動のヒントが書いてあって学びになりましたね。

 

そんな中で、特に心に残った考え方は

 

『30代は「選択と集中」が大事である』

 

 

選ぶことは諦めること?

20代までは、いろんなことにチャレンジして色んな経験を積み、自分の世界を広げていく時期であるのに対して

 

30代は忙しくなってくるし、時間や体力にも限りがあるので、数ある中からやるべきことを選択し、そのことに集中していくことが大事になってきます。

 

ときには、「何かを諦める」ということが必要になってくるかもしれません。

 

諦めることはとても勇気がいることです。なぜなら諦めるということはその可能性や希望を捨てるということだからです。

 

しかし同時に、「何かを選ぶ」ことによって可能性を広げることにもなります。

 

今まで知らなかった世界を垣間見ることができるかもしれませんし、何となく見知っていたものにさらに深く入り込むことによって別の景色が見えるようになるかもしれません。

 

僕は20代のころ、「何かを選ぶ」ということは「それ以外を捨てること」だと悲観的に思っていました。

 

でも違うんですね。それだけではない。

 

「何かを選ぶ」ということは実は「可能性を広げる」ということなのです。

 

 

広げていって閉じていく

こないだの記事では「30代でやりたいこと100のリスト」を作成しました。

※30代でやりたいこと100のリスト

http://ozawatchi.hatenablog.com/entry/2016/11/26/234112

 

正直、全部を達成できるとは思ってません。

(本来は全部達成できると強く願うべきなのでしょうが・・・)

 

100のリストを書き出してみることの真の効用は、「自分の無意識にアクセスして心の声を聴く」ことだと思っています。

 

もちろん想いを強くすることによって行動に変容を促し、それによって現実化する確率は高くなるかもしれません。

 

でも100のリストに書いた内容は、自分に意味があるともいえるし、意味がないともいえると思います。

 

自分の心の中を一旦無重力状態にして、無意識を具現化してみる。

 

そこから自分は本当はどんなことを思っているのかを知り、これからどういう方向を目指していくのかを知っていくわけです。

 

一度無限に広げていって、次に風呂敷にしまい込むように収斂させていく。

 

広げて閉じることで、本当にやるべきことが明確になっていくのだと思います。

 

 

やりたいことと現実のすり合わせ

少々難しい話になってしまいましたが、いずれにしても、ライフステージにおいて生き方を変えていくことは必要です。

 

10代の生き方、20代、30代、40代、50代、60代の生き方はそれぞれ異なります。

 

年齢を重ねるごとに、それぞれの年齢での困難に立ち向かいながら、自分の可能性を諦め、自分の可能性を深め広げていくのです。

 

僕は10代~20代は文字通り、目の前の壁を一つずつ乗り越えるために「がむしゃら」に生きてきました。

 

30代のこれからは、自分の今までの生き方を振り返り整理をしながら、もっと広く長い視野で今後の人生をどのようなものにしていきたいか、どんな自分になりたいのかを意識しながら生きていきたいと思っています。

 

思えば、10代の僕は野球選手と医者と物理学者に憧れ、20代の頃は翻訳家や作家やカウンセラーを目指していました。そして今は教育家を目標にしている。

 

僕は昔からやりたいことが見つからなかった人間でした。いや、厳密にいうと「やりたいことが多すぎて絞り切れない、選択する勇気のない人間でした。

 

ひょっとすると、エミリーワプニックが唱える「マルチ・ポテンシャライト(架橋家)」かもしれないし、器用貧乏で何一つ身になっていないだけなのかもしれない。

※天職が見つからない人がいるのはどうしてでしょう?(エミリーワプニック)

https://www.ted.com/talks/emilie_wapnick_why_some_of_us_don_t_have_one_true_calling?language=ja

 

 

それでもいろいろな経験を積み、自分の中では「教育」というキーワードが根付きはじめてきたように感じます。

 

もちろん今までの経験は「教育」に関係するものもあれば、まったく関係ないようなものまで幅広い。でも、それぞれは何かしらの関係を帯びてくるかもしれないし、意図的に関係づけていくことができるかもしれない。あらゆることは決して無駄にはならない。

 

主軸を持ち、それを取り巻く様々なことを受け入れていくことになります。

 

 

天職を見つける

「天職」とか「ライフワーク」とか「夢」とか色んな言葉があるけれど、結局のところ

 

「自分の興味が、およそ自分の力ではどうにもならないほどのものすごい強大な引力で引き寄せられるもの」を探し、見つけ、突き進んでいけばいいのだと思う。

 

まだ自分には見つかっていないという人は、いろいろなことにチャレンジしてみるといい。運命的な出会いは、日常的な出会いの数に比例する。恋愛と同じだ。

 

 

僕は「教育」というものを人生かけて求めていこうと覚悟を決めました。僕は教育がとにかく好きだし、今まで本を読んだり、セミナーに参加したり、海外に行ったりして、時間とお金を惜しみなく費やしてきた。何より子どもたちの笑顔を見ることが大好きです。

 

「教育」をバックボーンに据えて、これからの人生行路を旅していこうと思う。

 

僕らはまだ旅の途上にいる。

 

 

 

気持ちをニュートラルに

人生は得てして、あの人よりも優れているとか劣っているとか、自分だけがトップに立てるような分野を作ろうとか色々言われているが(そしてその考え方を否定するつもりはないけれど・・・)

 

他人との勝ち負けではなくて、自分らしく満足して生きていけるかだと思います。

 

僕らは競争の中で育ち、競争意識がしみついているけれど、ある意味でどこかのタイミングで開き直り、一度気持ちをニュートラルにする必要がある。

 

それができれば、心がスーッと軽くなると思います。たぶん。

 

好きなものを組み合わせて、自分の人生を彩っていくことができたならば、満足感や幸福感ははるかに高い。

 

20代までを第1ステージとすると、30代からは第2ステージの開始。

 

教育を主軸に、あとは趣味をいくつか選択して集中していこうと思います。

 

これから、やりたいことの選別作業が始まるから忙しくなりそうだ・・・

 

 

人生は有限だからこそ

昔、映画好きの友だちに「生きてる間に僕らは、この世の中にあるすべての映画を観ることはできないよ」と放言したことがありました。

 

友だちは僕の言葉にものすごい絶望感を覚えたと後に語っていました。その友だちにはとても申し訳ないことをしたなと今でも反省していますが、同時に僕にとってもショックでした。

 

映画だけではないからです。

 

世界中の本を読みたい、世界中の音楽を聞きたい、世界中を旅したい、世界中の人に会いたい・・・欲望は無限ですが・・・

 

この世に何億、何兆とあるそのすべてを見聞きすることはできません。

 

人生の間に触れることができるのはせいぜい0.001%くらいなものでしょう。

 

世界のほとんどのものを、その存在すらも知ることもなく、僕らは死んでいくわけです。

 

だからこそ量より質で、自分にとって価値あるものを選択してそのことに集中していくことが不可欠なわけです。

 

世界は無限。でも人生は有限。

 

有限の人生で、僕ら・私たちはこの無限の世界からどのような有限を切り取って生を享受するのでしょうか?

 

そしてその切り取り方は、だれ一人として同じものはなく、特別な色彩を帯びているのです。