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おざろぐ

東北から教育とか趣味とかをつづる小澤慎太郎のブログ

「私たちはなぜ勉強するのか?」に対する答え

私たちはなぜ勉強するのでしょうか?

 

その答えは、とても難しく、星の数ほど存在すると思います。

 

しかしまた一方では、シンプルにたった1つということもできます。

 

その答えは「より良く生きるため」です。

 

私たちが生きていくために、学習することはとても重要です。歴史的に見ても人類はさまざまな知識を獲得し、積み上げ、伝達してきました。そのおかげで今日、私たちは快適な生活を享受できています。そして同時に、人生では、世界ではどんなことが起こるか知れません。生き抜いていくためには様々な知識が必要で、刻一刻と変化する社会では常に新しいことを学んでいかなければなりません。

 

人が勉強する根本的な理由は、生きるため、といえるでしょう。

 

さらに詳しく見ていきたいと思います。たとえば学校で学ぶような英語や数学や理科はなぜ学ぶのでしょうか?理由は大きく2つあります。

①「仕事を得てお金を稼ぐため」、②「自分の世界を広げるため」です。

 

英数国理社は、直接仕事で使う人がいるかもしれないですし、社会(世界)で生きていくために役に立つことが多く含まれています。

 

たとえば、英語は日本にいても役に立たないじゃないかと思うかもしれませんが、逆に仕事で英語を使う人もたくさんいます。僕の場合、①子どもたちに英語を教えたり、留学生たちに英語で授業したりコミュニケーションを取ったりと直接仕事で使っていますし、②英語で書かれた本やサイトから色々な貴重な情報を集めることができてとても重宝しています。海外旅行に行ったときも英語ができれば英語圏で困りません。

 

数学や理科は①理工系に行けば直接仕事に関係してきますし(現に宇宙物理学者を目指していた僕にとっては不可欠なものであった)、②論理力を養ったり自然界の原理を知るという意味でとても有効な学問です。

 

日本の場合は特にそうなのですが、教育は「教養主義」という立場を取っています。

教養主義」とは、子どもは可能性のかたまりであることを信じて、将来いろいろな道に進めるように幅広く学んでおいてもらおうという考え方です。未来は何が起こるか分かりません。でもそんな不確定な未来に備えて色々なことを学んでおくことはとても意味のあることです。

この教養主義に基づき、(おせっかいと不満に思うかもしれませんが)大学受験までは幅広く、そしてけっこう深掘りした内容まで学ぶことになります。色々な進路に進めるような丁重な配慮です(笑)

 

さらに、勉強する理由が分からなくさせてしまう原因は2つあると考えています。

1つ目は、勉強する理由と生きる目標は密接に関係しているのですが、生きる目標を考えて見つける機会がなかなか得られないから。2つ目に、学問自体の面白さ・日常との関係性を十分に理解できない、教わらないという原因があります。

 

つまり、自分の人生における目標も見つけられず、学問自体の意味もわからないために、勉強する意味がまったく分からなくなってしまうのです。これではなんのために学ぶのか分からなくなって当然です。

 

僕は日本の教育のあり方に、そもそも問題があると思っています。

 

少し難しい議論になってきたので、最後にまとめておきますと

・勉強する理由は人それぞれだけど、「より良く生きるため」というのが共通した理由。

・「より良く生きるため」というのは、①仕事を得てお金を稼ぐ、②自分の世界を広げるということ。

・勉強する理由が実感できないのは、①人生の目標が見つかってない、②学問の意味が分からないというところに原因がある。

 

子どもから「なんのために勉強しなければならないの?」と聞かれたら

「生きていくために勉強はつねに必要だし、自分の世界を広げてくれることになる。あなたは色々な可能性を秘めているから、将来やりたいことが見つかったときにそれを手助けしてくれるものなんだよ」と答えるといいと思います。

 

ある科学者が「あなたの研究はなんの役に立つのか?」と聞かれて「赤ん坊はなんの役に立つのか?」と言い返したという有名なエピソードがあります。

 

将来はまさにどんなことが起こるか分からないし、学んだことを活かしていける可能性は無限大です。

 

役に立つか立たないかは、単なる結果論です。

 

もちろん無理に学ぶ必要はありません。まずは興味のあることから学んでいくといいと思います。

 

その学びの種がやがて芽を出し、花が咲く日がきっと来ることでしょう。

 

私たちの未来は、そして可能性は勉強によって無限大に広がっていくのです。

 

そしてその子どもたちの才能が開花できるように手助けするものが、ほかならぬ「教育」なのです。